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SRIの75年間のイノベーションについて:カラーテレビ 〜既存の白黒テレビとの互換性を確保するため、1953年に採用された第2のNTSC規格は2000年まで存続〜

「75年間のイノベーション」シリーズでは、SRIが設立された1946年から現在に至るまでの数々の画期的なイノベーションを取り上げます。SRIの英語ブログでは、2021年11月の75周年を迎える日まで、毎週1つずつイノベーションに関する記事をリリースしています。この日本語ブログでは、その中からいくつかを日本語にてご紹介します。

虹の向こうへ:SRI Internationalがいかにして私たちの暮らしに色をもたらしたか

「カラーテレビは、娯楽芸術の新たな次元を開き、ジャーナリズムにリアリズムを加え、社会的・教育的メディアとしてのテレビを強化します」-1953年にRCAのカラーテレビシステムを発表した際に、RCA Laboratories会長のデイヴィッド・サーノフ (General David Sarnoff) はこのように述べました。

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SRI InternationalRCA Laboratories(現在はSRI Internationalの一部)には、皆さんに身近な「テレビ」にイノベーションをもたらしたという長い歴史があります。この歴史は、RCAがカラーテレビという形で私たちの暮らしに虹のような色彩をもたらしたときに始まりました。

“黒、白、カラー”のパラレルワールド

現在では、テレビはすっかり私たちの生活の一部になっているため、あって当然のものと思いがちです。しかし、そのような当たり前のテレビ(現在世界中で約17億世帯に設置)も、多くの進化の段階を経て現在に至っています。SRI Internationalは、テレビの偉大な歩みの一部に関わっているのです。
RCA Laboratoriesは、現在私たちが親しんでいるテレビの開発を実現したソリッドステートCCDカメラ(solid-state CCD camera)をはじめ、放送用テレビに関する最も重要な発明をいくつか行ったことで知られています。もっとも、カラーテレビを最初に製品化したのはRCA Laboratoriesではありません。しかし、SRIとその関連企業のポートフォリオから生まれた多くのイノベーションと同様に、アイデアを取り入れ、それを形にして現実世界にもたらしました。

1940年代初頭に、カラーテレビに関する最初の試みが具体化します。CBSラボにより、機械式回転ディスクをベースにしたカラーテレビシステムが開発されました。しかし、このシステムには重大な制限があったため断念されることとなります。解像度が低く、画像がちらつき、既存の白黒テレビとの互換性がなかったのです。1953年当時、米国の家庭にはすでに2,800万台の白黒テレビがあり、白黒テレビを突然に時代遅れにしないことが重要でした。イノベーションと下位互換性のバランスを取ることは、新たな消費者向け技術を開発する際の最大の課題の1つです。RCAはこれを克服するシステムの開発に成功し、事実上の「業界標準」を確立しました

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1953年12月17日、連邦通信委員会(FCC: Federal Communications Commission)はRCAの点順次方式カラーシステム(Dot Sequential Color System)を承認し、RCAはカラー画像による初の民間テレビ放送を開始しました。繰り返しになりますが、この新たなシステムの最も重要な要素の1つは、既存の白黒テレビでカラー放送を受信できるということでした。とは言え、もちろんこれらの画像の表示は白黒テレビにおいては依然白黒です。このような互換性は、ユーザーの受け入れに不可欠であり、カラーテレビへのスムーズな移行を促すものとなりました。また、移行期間が設けられ、放送局は段階的にカラー放送に対応できる能力を構築することができました。たとえば、NBCが行っていたのは週に2回のみのカラー放送でした。カラーテレビの開発と並行して白黒テレビが存続できるようにすることは、フルカラー対応テレビへの移行に不可欠だったのです。

1953年の段階で、業界のアナリストたちは、1956年までカラーテレビは一般製品として普及しないものと考えていました。ですが、カラーテレビはすぐに全米の家庭のに広まりました。RCAのNTSC規格との互換性を確保した初のテレビセットであるRCA CT-100は、1954年から販売されました。当初の価格は1,000ドルでしたが、すぐに495ドルまで値が下がりました。

互換性のある色:“黒、白、グレー”から多彩な色まで

CBSシステムがうまくいかなかった理由の1つは、赤、緑、青の色を含む高速回転ホイールをベースとする機械式アプローチを採用したことでした。RCAのシステムはすべて電子式(またはソリッドステート)であり、動く部品に準拠していなかったため、より丈夫で信頼性が高いものとなりました。もっとも、CBSが失敗となった最大の理由は、既存の白黒テレビと互換性がなかったことです。

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RCAは、全てを電子システムで開発した事により変化をもたらし、これは初期の広告で「コンパティブルカラー(互換性のある色: compatible color)」と表現されました。RCAのカラーシステム受信機は、既存の白黒テレビの規格に、色のスペクトルを使用して画像を送信するために追加要件を組みこむ必要がありました。既存の標準のTV信号を受信し、それに色の情報を追加しなくてはなりません。これは、シャドーマスクの前に赤、緑、青の蛍光体ドットの繰り返しパターンを加えた新たなタイプの受像管を使用し、管の中で3つの個別の電子銃を用いることにより実現しました。1つの端末で赤、緑、青の画像を同時に表示できるようになったのです。人間の視覚システムは、これら3色の画像をフルカラースペクトルの1つの合成画像に結合して認識します。これが、テレビのカラフルな未来が到来したときでした。

RCA Laboratories(現在はSRIの一部)は、既存の白黒テレビでも表示可能な色の伝送を発信・受信できる実用的なシステムを開発することにより、この革新的技術がカラーテレビを製品として家庭に普及するための基礎を築きました。その後に続くのは、いわゆるフルテクニカラーの歴史です。

SRI Internationalについて、詳しくはhttps://www.sri.com/jaをご覧ください。

参考資料

[日本語ブログ] SRI International, The Dish, CCD Broadcast Camera: https://dish-japan.sri.com/n/nb98842ea08ad

YouTube, 1953 Compatible Color TV Announcement: https://youtu.be/ojJCJIaDp9Q

RCA CT-100: https://www.earlytelevision.org/rca_ct-100.html

RCA color compatible television fact sheet: https://www.earlytelevision.org/pdf/rca_compatible_color.pdf

Original RCA patent for Color TV system: https://pdfpiw.uspto.gov/.piw?docid=02594567

New York Times, 1969: https://www.nytimes.com/1969/01/06/archives/color-tv-outsells-black-and-white-for-first-time-and-tapes-coming.html

編集/管理:熊谷 訓果/ SRIインターナショナル日本支社

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